日本映画界の伝説(レジェンド)が、93歳にして人生初の主演作品に挑む!

加藤茂雄、93歳。職業、俳優兼漁師。
1948年、鎌倉アカデミア演劇科在学中「春の目ざめ」(@日劇小劇場)で初舞台を踏み、1950年に東宝と契約。
黒澤明『生きる』『七人の侍』、本多猪四郎『ゴジラ』など数え切れない程の名作映画に出演。
テレビに活動の場を移してからも、「ウルトラシリーズ」「太陽にほえろ!」など多くの作品に顔を出し、2018年、めでたく俳優生活70周年を迎えた。
「今も現役」と胸を張る日本映画界の伝説(レジェンド)が、93歳にして人生初の主演映画に挑む!
現在ギネスブックで認定されている世界最高齢の映画初主演俳優は『ペコロスの母に会いに行く』(2013)の赤木春恵(撮影時88歳)だが、それを上回る壮挙と各方面から注目を集めている。
加藤が演じるのは、鎌倉の海辺の町に一人で暮らす老漁師・繁田。実生活とも重なる役どころだ。
繁田に亡き祖父の面影を重ねるヒロイン・由希役には、オーディションで選ばれた新人・宮崎勇希。また、NHK連続テレビ小説「和っこの金メダル」で主演デビューし、現在もテレビ・映画・舞台で活躍を続ける渡辺梓が、繁田の一人娘・智子に扮し作品に華を添える。
監督と脚本は、ドキュメンタリー映画『鎌倉アカデミア 青の時代』(2017)で加藤に複数回の取材撮影を行い、その魅力に取りつかれた大嶋拓。
日本が新しい元号に突入した今、「人生100年時代」を体現する秀作が誕生した!

≫加藤茂雄 出演作品

  

『浜の記憶』はこうして作られた!

「加藤さん、久しぶりにドラマやってみませんか?」
この作品は、加藤茂雄と大嶋拓(監督)との茶飲み話から始まった。大嶋の前作『鎌倉アカデミア 青の時代』では作品の進行役的なポジションで何度も登場する加藤だが、あくまでもドキュメンタリー映画の証言者としての出演であり、俳優・加藤茂雄の本領発揮とはいかなかった。
「加藤さんが役者として、その演技を存分に披露できる場はないものだろうか…」
大嶋は、『鎌倉アカデミア~』が公開された2017年ごろから、漠然とそんなことを考えていた。とはいえ、加藤はすでに90過ぎ。テレビや映画で売れっ子だった俳優でも、そのくらいの年齢になればお呼びがかかることは少なくなるものだ。ましてや加藤はベテランとはいえ脇役専門、現在は事務所にも所属していない。「昔の話を聴かせて欲しい」というインタビューの依頼は年に数回あるものの、俳優・加藤茂雄への「実写作品出演依頼」は、久しく絶えていた。
しかし、病床にいるのならともかく、加藤はきわめて健康。今も現役漁師で、日々自転車で買い物に出かけ、自炊もこなし、風邪ひとつ引かないという。そんな元気な93歳の俳優を放っておくのはもったいない。オファーが来ないなら、自分たちで企画を立てればいいじゃないか!
そして、2018年6月26日、長谷駅近くの喫茶店で、大嶋は冒頭の言葉を加藤に投げかける。加藤は少し戸惑ったようだったが、
「やってみたいなあ」
と膝を乗り出す。こうして『浜の記憶』は、加藤と大嶋の共同企画による、完全自主製作映画としてスタートした!

翌月から大嶋はシナリオの執筆を開始。加藤の役は、演じる際に無理がないよう、加藤自身と同じ鎌倉の漁師に設定した。シナリオが出来上がると、次は共演者や撮影場所探し。一人娘の智子役は、現在横浜を拠点に、nitehi works (ニテヒワークス)というアートプロジェクトを立ち上げている渡辺梓に、大嶋が直接交渉したところ、作品の主旨に賛同が得られ快諾。メインのロケセットも、いい具合の古民家が見つかったものの、ヒロイン・由希役のキャスティングはいささか難航した。また、2018年の夏は「災害級」と称されたほどの猛暑酷暑で、7月の前半から熱中症で救急搬送される人が続出、加藤自身も一度、炎天下の浜辺でなかば意識を失い、砂地でぶっ倒れたという(幸い大事には至らなかったが)。
とにかく、このひどい暑さが一段落するまで撮影は控えようということになるが、やっと暑さが収まってきたころ、今度は大嶋がぎっくり腰を発症、カメラを回せる状況ではなくなってしまう。
そうこうしているうち、いつの間にか8月も下旬。月末には海水浴場も閉まるという。
「9月に入ってから夏のドラマを撮るのは物理的に難しいのではないか?」
「中止、あるいは来年に延ばした方がいいのでは?」
大嶋は一時期本気で悩む。しかし90歳過ぎの老俳優に「1年待て」というのはいささか酷な話である。気合いを入れ直してインターネットでヒロイン募集を告知し、9月に入ってすぐオーディションを行う。100名を超える応募者の中から宮崎勇希が由希役に決まったのは9月8日だった。

  


『浜の記憶』は超低予算作品のため、当初は撮影や録音など、すべてのスタッフワークを大嶋が1人でこなす予定だったが、さすがにそれは無理があるということで、マルチな対応ができそうな助監督をヒロインと同時に公募し、フリーカメラマン・内田裕実の参加が決定。これですべてのキャストとスタッフ(総勢5名!)が揃い、9月11日にロケセットとなる古民家で顔合わせとシナリオの読み合わせ。1週間後の9月18日、長谷・御霊神社の奇祭、面掛行列の日に、繁田と由希が祭りを見る場面を撮り、これが実質的なクランクインとなる。
こうして、去り行く夏を追いかけるように撮影は始まったものの、8月までの猛暑とは打って変わって、9月は低温傾向で雨続き。空模様のせいで撮影は何度も中止や延期を余儀なくされる。渡辺が参加したのは中盤の2日間だったが、2日とも雨。ただ、2日目の昼すぎに雨が上がり、夕方奇跡的に数十分だけ日が差したおかげで、どうにか浜辺での3ショットが撮影できたのであった。繁田と由希が初めて浜で出会うシーンや波打ち際を散歩するシーンは、夏らしい晴天を狙っていたのだが、撮影を予定した日に太陽が顔を出すことはなく、なかなか撮れないままに9月は過ぎていった。
「果たしてこの作品、撮り終えることができるのだろうか?」
と、またも悩む大嶋。しかし、そんな監督を尻目に、どこまでも前向きで誰よりも元気な加藤と、9月下旬の冷たい海にも笑顔で飛び込む自然派の宮崎は相性も抜群で、日を追うごとに、このポジティブコンビは親密度を増し、現場を牽引していった。極めつけは10月1日、鎌倉の寺社めぐりの撮影中の出来事。大仏から佐助稲荷に移動する途中、加藤は乗り慣れぬタクシーに揺られて気分が悪くなってしまうのだが、宮崎はそんな加藤に手を貸し、その体を支えるようにずっと腕を組んで歩いていた。その姿は、まさに由希そのもの。待ち時間に談笑している様子も、本当の祖父と孫のような、いや、それ以上の仲むつまじさであった。
10月8日、雲間から直射日光が射し込んだタイミングを狙って、残ったシーンを急ピッチで撮り終え、ついにクランクアップ。キャストたちは最後まで夏服で奮闘したが、長谷の海岸にはすでに秋の風が吹き抜けていた。

  



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